宇多喜代子(うだきよこ)
宇多喜代子のプロフィール情報
宇多 喜代子(うだ きよこ、1935年(昭和10年)10月15日 - )は俳人。山口県徳山市(現:周南市)生まれ。武庫川学院女子大学生活化学科卒。1953年、石井露月門下の遠山麦浪を知り俳句をはじめる。1962年、麦浪が没し前田正治主宰となった「獅林」に入会。1970年、「草苑」創刊に参加し、桂信子に師事、同誌編集長を務める。1976年から1985年まで坪内稔典編集の「現代俳句」に参加。1978年より「草苑」編集担当となり「獅林」退会。1981年「未定」に参加。1982年、第29回現代俳句協会賞受賞。1985年大阪俳句研究会創設に参加し同会理事。1986年、坪内代表の「船団」に参加。2001年、句集『象』にて第35回「蛇笏賞」受賞。2002年、紫綬褒章を受章。2004年、桂が没し「草苑」終刊、あらたに「草樹」を創刊し会員代表となる。2006年、現代俳句協会会長に就任[1]。『記憶』で第27回詩歌文学館賞俳句部門を受賞。「獅林」のなかで俳句の骨法をまなび、「草苑」で新興俳句の伸びやかさに育まれた。伝統、新興、前衛の良さを吸収し、また評価している。さらに『夏月集』では作家中上健次および熊野との出会いから句風に転換が起こった[2]。代表句に「天皇の白髪にこそ夏の月」(『夏月集』)、「いつしかに余り苗にも耳や舌」(『象』)などがある。農事や歳事に関心が深く、俳句史や俳句評論の分野の著作も多い。
出典:Wikipedia
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