桂春団治(かつらはるだんじ)
桂春団治のプロフィール情報
桂 春団治(かつら はるだんじ)は、上方落語の名跡。本来の旧字体の表記は「春團治」である。当代は3代目で、代数に含まれていない人物を含めると4代目となる。初代・2代目を顕彰する碑が池田市受楽寺に3代目によって建立されている。先代 桂春団治(生没年不詳) - 享年、本名等の情報は一切分かっていない。3代目によると本業は席亭(大阪市西区立売宍喰屋橋・圭春亭)で、落語はたまに披露していただけとのこと。本姓は松本とも言われる、活躍時期は明治20年代で、その末には没したという。「零代目春團治」と呼ぶこともある。初代 桂春団治(1878年8月4日 - 1934年10月6日) - 本項を参照。2代目 桂春団治(1894年8月5日 - 1953年2月25日) - 初代桂春蝶(はるちょう)、初代桂福団治を経て、2代目春団治を襲名。本名は河合浅治郎。享年58。3代目 桂春団治(1930年3月25日 - ) - 2代目春団治の実子。桂小春、2代目桂福団治を経て、3代目春団治を襲名。本名は河合一。初代桂 春団治(かつら はるだんじ、1878年8月4日 - 1934年10月6日)は、天才的な巧みな話術で、戦前の上方落語界のスーパースター的存在であった。従来の古典落語にナンセンスなギャグを取り入れた大胆な改作で爆笑王として人気を集め、当時の先端技術でもあったレコードに落語を吹き込んだ。本名は皮田 藤吉。最後の妻・岩井志うとの結婚では春団治が婿入りという形をとったため、以後、本名は岩井 藤吉と変わった。
出典:Wikipedia
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